日刊電影最佳男主角-木村拓哉 - 日本

By Sandy
at 2007-12-05T08:10
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キムタクが主演男優賞/映画大賞
木村拓哉(35)が主演男優賞を獲得した。第20回日刊スポーツ映画大賞・石原裕
次郎賞(日刊スポーツ新聞社主催、石原裕次郎記念館協賛)が4日、決定した。木村は
「武士の一分」で山田洋次監督(76)の演出に応える演技力を発揮。続く主演作「H
ERO」は今年の邦画興行収入NO・1ヒットとなった。94年の石原裕次郎新人賞受
賞から13年、名実ともに日本映画界を背負うスターとなった。「武士の一分」は石原
裕次郎賞も受賞。28日に東京・紀尾井町のホテルニューオータニで行われる授賞式で
裕次郎夫人のまき子さんから賞金300万円が贈られる。
受賞を知った木村は喜びと同時に重みを感じた。「過去に受賞された方の(映画にお
ける)経歴や活躍を考えると、自分がそこに存在できるのことはすごくうれしい。ただ
、これからの自分に対するまなざしの厳しさも覚悟しなければいけない。責任を感じま
す」。
実は「武士の一分」の台本を手にした時に「怖くなった」という。10年ぶりの日本
映画。巨匠、山田洋次監督とのタッグ。初の時代劇映画。失明した下級武士という難役
だった。「時代設定、生活習慣、言葉のイントネーションの違い、身体的障害。重ねて
いくと気持ちの上でかかとを上げていかないと厳しいかな」。
撮影開始前、山田監督と面談の場が設けられた。多くのヒットドラマに主演してきた
が「今まで経験がなかったことなので驚きました」。台本とペンを持って部屋に入った
。山田監督は作品に込めた思いを静かな口調で語り続けた。話を聞く木村の表情を横で
撮影監督が見詰めた。「笑われがちで、避けがちな熱さがあった。格好いいとか悪いと
かそんな価値観は存在しない。僕も本当はそういうことが好き。本来こうあるべきだと
。日本映画の歴史そのものの人たちに身を任せればいい」。
怖さを忘れ、気持ちが強く固まった。選考会では「一気に観客を引きつけ、画面を覆
い尽くす存在感があった」「色気があった」「目の使い方など演技力の高さを感じた」
など圧倒的支持を集めた。
相次ぐ絶賛の中に「13年間きちんと歩み続けた力を発揮した」という声が上がった
。木村は94年映画デビュー作「シュート!」で石原裕次郎新人賞を獲得。「映画経験
のなかった自分がいきなりものすごい賞を受け取ってしまって妙な感じがしました」。
戦後最大の映画スターの継承者と期待されたが、ドラマ「ロングバケーション」で不動
の人気を得て以来、活動の中心はテレビに。それでも新人賞のことは「忘れたことなん
てない。心の中で大切にしていました」。
スクリーン復帰作は堂々の評価を得た。山田監督の時代劇は「たそがれ清兵衛」が興
収12億円、「隠し剣 鬼の爪」は9億円。「武士の一分」はけた違いの40億円を記
録した。続いて主演した「HERO」は今年の日本映画NO・1ヒットとなる興収81
億円。2作品合わせた興収は120億円を超えた。木村は「データを受け入れる責任は
もちろんありますが、撮影現場でやり切った感覚もある。それでもうれしいことはうれ
しいですね」。
裕次郎新人賞の授賞式で木村は「いつか裕次郎さんの名前が付いた賞の重さを背負え
るような人間になりたい」と言った。それから13年。「武士の一分」は石原裕次郎賞
も獲得。劇場に観客を呼ぶことができる人気と実力も示した。木村が日本映画を支える
トップスターとなって、授賞式に帰ってくる。【松田秀彦】
[2007年12月5日8時45分 紙面から]
http://www.nikkansports.com/entertainment/cinema/p-et-tp1-20071205-291551.html
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木村拓哉(35)が主演男優賞を獲得した。第20回日刊スポーツ映画大賞・石原裕
次郎賞(日刊スポーツ新聞社主催、石原裕次郎記念館協賛)が4日、決定した。木村は
「武士の一分」で山田洋次監督(76)の演出に応える演技力を発揮。続く主演作「H
ERO」は今年の邦画興行収入NO・1ヒットとなった。94年の石原裕次郎新人賞受
賞から13年、名実ともに日本映画界を背負うスターとなった。「武士の一分」は石原
裕次郎賞も受賞。28日に東京・紀尾井町のホテルニューオータニで行われる授賞式で
裕次郎夫人のまき子さんから賞金300万円が贈られる。
受賞を知った木村は喜びと同時に重みを感じた。「過去に受賞された方の(映画にお
ける)経歴や活躍を考えると、自分がそこに存在できるのことはすごくうれしい。ただ
、これからの自分に対するまなざしの厳しさも覚悟しなければいけない。責任を感じま
す」。
実は「武士の一分」の台本を手にした時に「怖くなった」という。10年ぶりの日本
映画。巨匠、山田洋次監督とのタッグ。初の時代劇映画。失明した下級武士という難役
だった。「時代設定、生活習慣、言葉のイントネーションの違い、身体的障害。重ねて
いくと気持ちの上でかかとを上げていかないと厳しいかな」。
撮影開始前、山田監督と面談の場が設けられた。多くのヒットドラマに主演してきた
が「今まで経験がなかったことなので驚きました」。台本とペンを持って部屋に入った
。山田監督は作品に込めた思いを静かな口調で語り続けた。話を聞く木村の表情を横で
撮影監督が見詰めた。「笑われがちで、避けがちな熱さがあった。格好いいとか悪いと
かそんな価値観は存在しない。僕も本当はそういうことが好き。本来こうあるべきだと
。日本映画の歴史そのものの人たちに身を任せればいい」。
怖さを忘れ、気持ちが強く固まった。選考会では「一気に観客を引きつけ、画面を覆
い尽くす存在感があった」「色気があった」「目の使い方など演技力の高さを感じた」
など圧倒的支持を集めた。
相次ぐ絶賛の中に「13年間きちんと歩み続けた力を発揮した」という声が上がった
。木村は94年映画デビュー作「シュート!」で石原裕次郎新人賞を獲得。「映画経験
のなかった自分がいきなりものすごい賞を受け取ってしまって妙な感じがしました」。
戦後最大の映画スターの継承者と期待されたが、ドラマ「ロングバケーション」で不動
の人気を得て以来、活動の中心はテレビに。それでも新人賞のことは「忘れたことなん
てない。心の中で大切にしていました」。
スクリーン復帰作は堂々の評価を得た。山田監督の時代劇は「たそがれ清兵衛」が興
収12億円、「隠し剣 鬼の爪」は9億円。「武士の一分」はけた違いの40億円を記
録した。続いて主演した「HERO」は今年の日本映画NO・1ヒットとなる興収81
億円。2作品合わせた興収は120億円を超えた。木村は「データを受け入れる責任は
もちろんありますが、撮影現場でやり切った感覚もある。それでもうれしいことはうれ
しいですね」。
裕次郎新人賞の授賞式で木村は「いつか裕次郎さんの名前が付いた賞の重さを背負え
るような人間になりたい」と言った。それから13年。「武士の一分」は石原裕次郎賞
も獲得。劇場に観客を呼ぶことができる人気と実力も示した。木村が日本映画を支える
トップスターとなって、授賞式に帰ってくる。【松田秀彦】
[2007年12月5日8時45分 紙面から]
http://www.nikkansports.com/entertainment/cinema/p-et-tp1-20071205-291551.html
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